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前回に引き続き、皇居ツアー(江戸城入門編) の続きです。

 

桔梗門から少しのお供を連れた殿様が行ってしまった後、
門に入れずに手前の広場で待つ家来たちがほとんどになるわけです。

 

そこで他の藩や江戸城内の人事など、いろいろ情報交換を していたということです。

 

そこから派生した言葉が「下馬評」だそうです。馬から降りて、
ずっと待っている・・・という状況からでしょう。

 

百人番所前の石垣が中ノ門跡です。大きな長方形の石を
隙間なく積み上げています。

 

 

 


 

 

中ノ門からが「本丸」になりますが、その内側にある
大番所の役割は大きかったそうです。


 

 

 


 

 

なだらかで緩やかな坂道を上がっていきます。


 

 

 


 

 

本丸御殿に通じる最後の門、
中雀門です。徳川御三家(尾張、紀州、水戸)と日光門主も
この門で乗り物を降り、徒歩で本丸御殿に向かわなければ
いけなかったそうです。


 

さこほどの中ノ門と比べて石が凸凹になっているのは
火事の時にここまで火が回った跡だそうです。

 

 

 


 

本丸御殿は幕府行政の場所だった「表向」
将軍のいた「中表向」、将軍の私邸の大奥に分かれていて



広さは約33,000
㎡だったそうです。
大体野球のグラウンド4つ分くらいだとか。


 

こちらは「富士見櫓」。

 

1657年の明暦の大火で天守閣が焼けてなくなってしまった後、
大きな天守閣を立てるには財政も厳しくなります。

 

4代将軍家綱が今までのように大きな天守閣を建てる
代わりに富士見櫓を天守閣の代わりに建てたそうです。

 

でも、そうするともう他の殿様も大きな天守閣は建てられないと
いうことだったそうで。。。その後はより小さな天守閣が
建てられたそうです。

 

火事で江戸の大勢の人が亡くなったので、隅田川に
両国橋をかけ、名君と言われたそうです。
(全然知らなかったなあ)

 

 
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有名な「刃傷事件、松の大廊下、吉良上野介が
浅野内匠頭に切りつけた場所がこの石碑が立っている場所です。



畳敷きの廊下だったそうですが、同時に待機場所でもあったそうで、
そんな場所で刀を出すというのはよほどのことだったのかと
思いました。


 

 


 

写真だとよくわかりませんが、
大変珍しい種類の竹だそうです。


この他にも現在の天皇陛下が当時の植物をいろいろ
植えられて当時の食べ物を再現されています。
(食べてはいけません!)

 

 

天守閣があった跡の天守台です。

ガイドさんが持っている絵が当時の想像図です。

高さ11mほどあります。本丸台地の最高所です。
江戸城の天守閣は、火事で焼ける前に3度
建て替えられているそうです。

 

 


 

 

 

先ほどはなだらかで緩やかな坂道でしたが、
この道の段差は当時のものそのままだそうです。


ツアーはその後、北の丸公園に入り、なだ万のお弁当を
配られて公演内で食べてから解散でした。

いろいろおもしろい話も聞けました。

例えば、時代劇に良く出てくる「〇〇南町奉行所」などの
看板は、当時はなかったそうです。

充実の約3時間でした!


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